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2009-02-17 (Tue)
 タイの仏教美術を歴史的方面からみると、一つはタイ王国建国前の古代~中世時代
(BC3~1238)、もう一つはタイ民族であるスコータイによって統一建国されたスコータイ時代以降(1238~現代)の二つに分類できます。
 この古代~中世時代は今のタイ王国全土に様々な民族が入り混じり、文化も美術様式も互いに影響しあい多岐に渡っていた時代。それらを画一的に分けることは困難ですが、今回ワット・ベンチャマボピットの回廊で52体もの仏像を鑑賞する機会がありましたので、この仏像を見ながらそれぞれの時代の特徴と照らし合わせてみたいと思います。

    【古代~中世時代(BC3~1238)】
 1 ドヴァーラヴァティ(Dvaravati)美術 (タイ中央部 6~11世紀)
 2 スリーヴィジャヤ(Srivijaya)美術  (タイ南部 7~13世紀)
 3 ロップブリー(Lopburi)美術     (タイ中央部 10~13世紀)
 4 ハリプンチャイ(Haripunchai)美術 (タイ北部 11~13世紀)
 5 チェンセン(Chiengsaen)/ランナー(Lanna)美術(タイ北部 11~18世紀) 
 
    【タイ王国建国以降(1238~現代)】
 6 スコータイ(Sukhothai)美術    (13~15世紀)
 7 ウートン(U-Thon)美術       (12~15世紀)
 8 アユタヤ(Ayutthaya)美術     (14~18世紀)
 9 ラタナーコーシン(Rattanakosin)美術(18世紀~)
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    【ドヴァーラヴァティ(Dvaravati)美術】 (タイ中央部 6~11世紀)
 それまでの土着精霊崇拝だったこの土地に、インドからスリランカを経て伝承された仏教。それがこの地の仏教の始まり。現在のロップブリー県辺りを統治していた先住民族インド・ビルマ系
モン族は次第に北部にまで勢力を伸ばしその仏教芸術の影響も及ぼしてゆく。

 この時期の仏像は比較的小顔で細く繋がった眉と静かに伏した目元が涼しげだが、対照的に小鼻の大きく膨らんだ鼻と厚い唇もまた印象的。頭部には肉髻が突起し、殆ど襞のもたない薄いシンプルな衣に身を包むもの。
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 坐禅を組む両足の上で軽く重ねられた掌。「禅定印」とは坐禅を組む時の手の印相。後に「禅定印」と呼ばれるものはこの重ねた手の親指だけを高い位置で合わせた形、悟りの境地を表します。
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    【スリーヴィジャヤ(Srivijaya)美術】 (タイ南部 7~13世紀)
 スマトラ島~マレー半島までを含む半島部のマレー系民族によるジャワ密教美術。
 国立博物館には密教の影響である様々な宝飾を全身につける像が並ぶ。

    【ロップブリー(Lopburi)美術】 (タイ中央部 10~13世紀)
 現在は冬のヒマワリ畑で有名なロップブリー県。その地の美術とは当時のカンボジア・クメール様式の影響をかなり受けたもの。初期の顎骨の張り頬肉のない短顔はクメール様式の変化と共に次第に面長で卵形の顔つきへと変わる。正面を見据え静かに人々を迎える目線が特徴。
またこの時代より七つの頭を持つ蛇神ナーガに座する像が多く造られたようです。

 掌の円形紋は”人々を哀れみ愚かさを取り除く”と信じられる「千輻輪(せんぷくりん)相」で、その手を胸の高さまで上げて人々に向けているのは「施無畏印(せむいいん)」といい”恐れをとり払う”意味。日本の釈迦如来ではこの右手と対に左掌を人々に向けながら下ろし「与願印(よがんいん)”願いを聞き入れる意”」を表しています。
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 マントの形は初期の流れをくむものの、装飾が時代と共に豪華になってゆく。また鋭角な縁取りの宝冠を被るのもこの時代のものが多い。当時のクメールの特徴的な顔立ち(参考:アンコール・ワットのアプサラ)の仏像。
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 顔容のつくりは後期のクメールの衰退によって力を得たモン族の影響が加わったものか。中性的なもの静かな表情を浮かべている。胸には大きな「瓔珞(ようらく)」というネックレス、腕には「腕釧(わんせん)」も見られる。
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    【ハリプンチャイ(Haripunchai)美術】 (タイ北部 11~13世紀)
 ドヴァーラヴァティ美術の分派といわれるモン人によるハリプンチャイ美術。その仏像はインド及びスリランカの様式に似る。特に昨年日本で行われたスリランカ観音菩薩坐像の顔つき体つきはこの寺院でみる仏像と共通点が重なり驚かされる。ふくよかな卵型の顔、狭い額に細くつながる眉、厚いまぶたと大きな目に膨らんだ唇。
 この仏像は華美な宝冠・耳飾り左右の腕には腕釧と指輪が5つもはめられた姿。
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    【チェンセン(Chiengsaen)/ランナー(Lanna)美術】 (タイ北部 11~18世紀)
 それまで他国の様式を模すことに留まっていた仏像もこの7世紀にも及ぶ期間の内に、チェンセン美術独自の仏像へと発展していく。まず顔の形がふっくらとした頬の丸顔になり三日月眉と小ぶりな口元。そしてこの頃の仏像の最も特徴的である目線が上から下へと注がれる姿になる。肉髻の上部に蓮の蕾型の突起がつき、広い肩幅と太い上腕に比べ極端にウエストがくびれ、厚い胸板と小さな腹部が対照的な独特の感性の仏像へと変わる。
 右肩右胸を出す薄い衣は「偏袒右肩(へんたんうけん)」といい本来は身分の低いものが目上の方にお会いする際に着用するものなので、釈迦がこれを身につけることには”インド式の敬意の表れ”や”気候風土によるもの”など諸説は様々。

 柔らかく足に添えられた右手はそのまま地面を指し「触地の降魔印相」を見せている。
 チェンセン独自のスタイル。
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 首に見える三本の皺は「三道(さんどう)」といい円満な人物の象徴。
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 肌の透ける薄い衣に身を包む素朴な仏像ですが、丸い曲線からなる体つきと中性的で柔和な表情から、何とも穏やかなありがたい気持ちにさせていただけるお釈迦様です。
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 頭部の突起が同時期のウートン美術(後述)と同じ火焔状の炎の形。衣服の上からも透けて見えるへそが人間味をより一層引き立てる。
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 両肩に向かって長く延びる耳たぶと穴は、嘗てのお釈迦さまが国の王子であり豪華な金の
宝飾耳飾りを下げた暮らしをしていた証し。その名残は権威の象徴でもあるのだとか。
しかしお釈迦さまにそういう象徴が必要なのかしらと少しばかり思う私です。
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    【スコータイ(Sukhothai)美術】 (13~15世紀)
 タイの仏像の中で一番美しいと評されるスコータイ時代の仏教美術。そこに至る歴史は北の
雲南省からモンゴル人によって追われて来たタイ民族スコータイがクメール国を制して統一し、
タイ王国を建国したのが始まり。よって文化も芸術も全てはこの地のクメール様式を模写することから始まり、次第にスリランカからの仏教美術も重なり合ってゆく。

 下の仏像を見るとややつり上がりな目元がそのまま端正な目鼻立ちのアクセントとなり、比較的女性的な表情を浮かべ、小ぶりな手としなやかな指、ふくよかな胸と柔らかな体形のラインから、これはクメール美術の名残かまたはスリランカに入ってきていた密教(女性崇拝)の影響かと興味を持ちます。
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 タイで最も美しい仏像の時代。そんな言葉はこの「遊行仏」によって生まれたもの。
左の写真には赤い戸を挿み前後二体の像が写っていますが、どちらも人々の為「千輻輪相」の掌を胸元で表し修行の旅を続ける「遊行」を表現しています。その滑らかな曲線美をしならせる姿は人々の元に理想仏として受け入れられ今日へと至っています。
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    【ウートン(U-Thon)美術】 (タイ中西部 12~15世紀)
 スコータイ王朝の衰退によってチャオプラヤー川水域で同時期新たに建てられた王国、これがアユタヤ王朝でその初代王がラーマーティボーディー1世(ウートン)である。
 この時代ウートーンにて栄えた美術の仏像は頭髪とおでこの生え際に一直線のライン(バンド)を持つこと。また肉髻の上に初期(13~14世紀)のものは蓮の蕾の様な突起をつけ、中期以降(14世紀)のものは火焔状の炎を。中期と後期(14~15世紀)の区別は顔つきで分かり、後期になるとアユタヤ美術の面長卵型へと変わる。衣はへそ上まで帯を延ばす形の「偏袒右肩」。

 広い額と切れ長な目元、凹凸の少ない顔立ちのこの二体。他の時代の仏像と比べると対照的とも思われる男性的表情が印象的。
ウートン美術初期と思われる頭部の仏像。
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均等のとれた直線的な美しい体つきな中でおへそだけがやけに大きく窪んでおり、そこには何か意味があるのでしょうか。ウートン美術中期の作。
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    【アユタヤ(Ayutthaya)美術】 (14~18世紀)
 僧侶のマントと質素な腰ベルトとはロップブリー様式、頭部の火焔状の炎はウートン様式、面長の顔立ちはスコータイ様式、蓮の蕾を逆さに吊るした耳飾りはクメール様式、様々な時代の融合の中でアユタヤ様式の特徴はバラモン教の影響によるきめ細かい王冠(三体目)。
また仏像に対する解釈が変わり、それまでの釈迦の神と王が一体化した神王思想の人間的様相から上座部仏教によってより神格化されたものとなる。

 熱心な上座部仏教信徒であった歴代の王によって数多くの建設された寺院・仏像も、ビルマ軍の侵攻によりその姿をそのまま現存するものは少ない。
頭部から火焔状の炎が勢いよく燃える様。
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 美しい指先と全体から漂う柔和な雰囲気。
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 17~18世紀の神格化した仏像と思われる宝冠と耳飾りをつけた釈尊。ロップブリー様式の様なギザギザとした縁取りはなく正面と脇のみ鋭角な角をもち、上部に巻貝の様な飾りをつけたものを被る。
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   【ラタナーコーシン(Rattanakosin)美術】 (18世紀~)
 アユタヤ美術様式の流れをそのまま継承しつつ、次第に西欧のモダニズム・中国美術の影響も現われてくる。

   ~ 他国の仏像 ~
   【ガンダーラ(Gandhara)様式】 ~PAKISTAN~
 これは「苦行仏」といい、6年もの苦しい断食によってこの世の欲全てを捨てよと修行を積む姿。悟りを開くために自ら困難な道をも選ぶその意志の強さと信心深さを全身で表現する仏像。しかし後にこの様な方法はいたずらに身体を痛めるばかりで真の悟りの道には至らぬと悟る。
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   【ビルマ(Burmse)様式】 ~RANGOON~と~MANPALAY~
 ビルマもタイと同じようにインド・スリランカから仏教が伝来し、その後の美術においても時代毎に多様化している。
 中で有名なのは、ビルマの先史時代・パガン王朝(9世紀~13世紀)にある伝説による仏像。ある時代の王が身につける高価な宝飾品に固執し、釈迦の教えをなかなか受け入れることが
出来ずにいた為、釈迦が王と同じ豪華な宝飾品や衣装に身をくるむ姿に変化し、王に改心・仏教へと帰依させた伝説から、その変化した釈迦の姿をした「宝冠仏」が造られ、後にタイへも影響を及ぼし多くの宝飾品を身に纏う仏像をつくらせた。
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   【日本様式】
 日本様式と説明される仏像二体のうちの一体。どちらも共通するのは頭部に円形放射状に広がる「筋光」の後光が差し、特徴的な顔つきと耳の形。衣類も振袖の様にながい袖と全身に多くの襞を寄せた衣。 「施無畏印」と「与願印」を組み合わせた両手は民衆を漏らすことなく救おうとした仏の慈悲の御心の印。
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